2016/10/27

あなたを今ここに 連れて来るための技法 | OSHO

よくないのは、
自分の行為に
こだわることだ。
それは往々にして、
真の問題から
逃れる策略であり、
方便だ。

たとえば、
暴力的な人間がいるとする。
彼はどうにかして、
非暴力的になろうとするだろう....。
非暴力的になれば、
宗教的になれると思って.....。
非暴力的になれば、
神に近づけると思って。
また残虐な人間は、
どうにかして
慈悲深くなろうとするだろう。

たとえ
そうしたところで
何も変わらない。
本人は同じままだ。
彼の慈悲には、
残虐さがつきまとう。
それは余計に危険だ。
彼の非暴力には、
暴力がつきまとう。
その暴力はさらに微妙になる。
彼は暴力的に非暴力となる。
その非暴力には、
暴力のあらゆる狂気がある。
また彼はその慈悲を通じ、
残虐を行う。

慈悲によって人が殺される。
人々はそうして殺されてきた。
宗教戦争というものが
数多く存在している。
そうした戦争は
慈悲の心をもって行なわれる。

人を殺すにしても、
じつに慈悲深く、
じつに非暴力的にやる。
愛の心をもって人を殺す。

というのも、
殺すのも当人のためだからだ。
相手を殺すのも、
それが当人のためになるから。
当人にとって助けとなるからだ。

自分の行為を変えたところで、
行為を変えようとする努力は、
じつは
根本的な変化を避けるための
方便だったりする。

根本的な変化のためには、
まず自分が存在することだ。
自分の存在について、
もっと気づきを深め、
意識的になる。
そうして初めて、
在ることが現れる。

あなたは
けっして自分を感じない。
ときに感じることはあっても、
それは他人を通じてだ.....。
興奮とか刺激とか反発を通じてだ。
誰かほかの人間が必要だ。
ほかの人間を通じて、
あなたは自分を感じる。

これは不条理だ。

ひとりでいて興奮もなく、
鏡となる人間が存在しないと、
あなたは眠りに落ちる。
退屈する。
けっして自分を感じない。
在るということがない。
あなたは不在のうちに生きる。

この不在であることは
非宗教的だ。
自己の存在に
満たされるということ.....。
自己の存在の光に
満たされるということ。
それは宗教的だ。

だからこれが
基本的に重要な点だ。

私はあなたの行為を
重視しない。
あなたが何をするかは
どうでもいい。

私が重視するのは、
あなたが何かということだ....。
不在か実在か、
気づいているか
気づいていないか....。

これから
観ていく技法は、
あなたをもっと
存在させるため、
あなたを今ここに
連れて来るためにある。

あなたが
自己を感じるためには、
他人かあるいは過去が必要だ。
過去を通じて、
過去の記憶を通じて、
あなたは
自分というものを感じる。

あるいは未来が必要だ。
あなたは未来に
自分の夢を投影する.....。
自分の理想を、
未来の生を、
モクシャ(解脱)を投影する。

だから
自分の存在を感じるためには、
過去の記憶とか、
未来の投影とか、
他人が必要だ。

けっして
自分だけでは満たされない。
これこそが病気だ。
自分だけで充分でない人間には、
何物も充分ではない。

ひとたび
自分だけで満たされたら、
そこに勝利がある。
葛藤は終わった。
もはや苦悩は存在しない。
引き返すことのない地点が
やって来る。

この点を超えると、
永遠の至福がある。
この点以前には、
苦悩がつきものだ。

でも
その苦悩のすべては、
奇妙なことだが、
自分の行ないに由来している。

これはまさに奇跡だ。

あなたは
自分の苦悩を作り出す。
ほかの誰でもない。

もしほかの誰かが
作り出すのなら、
それを超えるのは難しい。
もし世界が
それを作り出すのなら、
あなたにいったい
何ができるだろう。

でも実際のところ、
あなたには何かができる。
「何かができる」という事実は、
その苦悩を作り出しているのは、
他人ではないということだ。

それは自分自身の悪夢だ。

そして
その基本的な要素は
以下のとおりだ。

第一に、
あなたは
「自分は存在する」
と考えている。

「自分は存在する」
と思い込んでいる。

それは
たんなる思い込みだ。

あなたは、
けっして
自己に直面したことがない。
けっして
自己に面と向かったことがない。
けっして
自己に出会ったことがない....。
出会いというものは
あったためしがない。

たんに「自分は存在する」と
思い込んでいるだけだ。

まず
この思い込みを捨て去る。

自分は
まだ存在しないということを
よく自覚する。

こうした
偽りの思い込みがあったら、
あなたはけっして変容できない。

この偽りの思い込みによって、
あなたの生は偽りになる。

グルジェフは、
かつて弟子たちに
よく言ったものだ。
「何をすべきか
 私に尋ねてはならない。
 あなたには何もできない。
 何かを行なうためには、
 まず第一にあなたが必要だ。
 だがあなたはいない。
 だったら
 誰がするというのか。
 いくら何かをしようと考えても、
 あなたには何もできない。」

こうした技法の目的は、
あなたを助けること。
あなたを連れ戻すこと。
自己に出会える状況を
もたらすことにある。

いろいろなものを
破壊する必要がある....。
間違っているものすべて、
偽りなるものすべてを、
「真」が生じる前に、
まず必要なのは、
「偽」が消え去ること、
「偽」がやむことだ。

「自分はいる」という観念は偽りだ。

「自分は魂だ。
 アートマンだ。
 ブラフマンだ。」
という観念は偽りだ。

とは言っても、
実際に
そうでないというわけではない。

その観念が
偽りだということだ。

グルジェフはいつも
「あなたの中に魂はない」と言っていた。
あらゆる伝統に反して
彼はこう語り続けた。
「人間に魂はない、
 魂とはたんにひとつの可能性だ。
 可能だというだけで、
 今あるとはかぎらない。
 それは達成するものだ。
 あなたはたんにその種子だ。」

たしかにそのとおりだ。
その可能性はある。
その潜在性はある。
でもまだ現実ではない。

ところが私たちは、
いつもギータや
ウパニシャッドや
聖書を読んでは、
自分は魂だと思い込む。

つまり、
種子が自分のことを
樹だと考える。
樹はそこに隠されていて、
まだ顕れていない。

だから、
よくこころえておくことだ.....
ことによると、
自分はいつまでも
種子のままかもしれない。
種子として死ぬかもしれない.....。

樹が自分で
出現することはない.....。
樹が自分で
芽生えることはない。

まずはそのために、
何かを意識的に行なうことだ。
意識を通じて初めて、
それは成長する。

Osho - The VIigyana Bhairava Tantra


2014年10月26日 ·
Prem Sheel さんのFBより

2016/09/26

謙虚さとは

レスターのビデオを見ながら
謙虚さとは 内側から あふれ出るものなんだな
と思った
 
作れるものでは ないんだ・・・

確かに 
OSHOを見ていても
そう・・・

心の底から 
自分に 
相手に 
敬意を持てる人
だけの持つ ものなのかな・・・

私も早くそこに至りたいものです・・・

2016/08/26

OSHO トランスフォーメーション タロット 24 力の誤用

OSHO トランスフォーメーション タロット
24. 力の誤用


力を使うときは、相手の人、そして存在全体への深い尊敬と愛をもっていなければなりません。あなた独自の知的な考えで、誰かほかの人の生を邪魔してはいけません。もしあなたがなにか力をもっていたら、他人を操らないこと、それを創造的に使いましょう。

 ラーマクリシュナにはひとりの弟子、ヴィヴェカナンダがいた。そしてアシュラムには、カルウという名の非常に素朴で無垢な男がいた。知的なタイプで、議論好きのヴィヴェカナンダは、このカルウをいつもからかっていた。
 
 カルウは自分の部屋を寺院のように作りあげていた。インドではどんな石でも神になることができる。だから、彼は自分の小さな部屋に三百に近い神々をもっていた。ヴィヴェカナンダはいつも彼に言っていた。「この神々を全部ガンジス河に捨てろ! まるでなんの意味もない――神は内側にある」だがカルウは言った。「私はこの石たちを愛している。美しい。ガンジスが私に与えてくれたのだ。いまになって投げ返すなんてできないだろう? いや、私にはできない」

 ヴィヴェカナンダが彼の最初の"サトリ"を、最初の力の洪水を伴って達成した日、ある考えが彼のマインドのなかに入ってきた……少し遊んでみようと思って、彼はその考えをカルウのマインドに映し込んだ。「カルウ、自分の神々を全部もって行って、ガンジス河に捨ててきなさい」

 ラーマクリシュナは外に坐っていた。彼はこのゲーム全体を見た。彼は映し込まれた思考を見たにちがいない。だが、彼は待った。カルウが大きな包みをもって出て来た。彼はひとつの大きな袋に神々をすべて入れて運んでいた。ラーマクリシュナは彼を止めて言った。「待ちなさい! どこに行く?」  カルウは言った。「これはばかげているという考えが私のマインドに入ってきました。これらの神々をすべて捨ててこようと思います」  ラーマクリシュナは言った。「待っていなさい」。そして、ヴィヴェカナンダが呼ばれた。

 ラーマクリシュナは非常に怒って叫んだ。「これが力を使う道だというのか?」そしてカルウに言った。「お前は自分の部屋に戻りなさい。お前の神々をもとの場所に戻すがいい。これはお前の考えではない、ヴィヴェカナンダの考えだ」

 カルウはその考えが変な感じだったことを認めた。あたかも外側から打たれたかのようだった、それにとりつかれてしまったようだった、と。

 ラーマクリシュナはヴィヴェカナンダに対して非常に怒っていたので、彼にこう言った。「もう、お前の鍵は私が預かる。お前は二度と再びこれ以上の"サトリ"を得ることはない……お前は死ぬまさに三日前にこの鍵を受け取ることになる」

 そして、そのとおりのことが起こった。彼は何年ものあいだ泣き、すすり泣いた。だが二度と"サトリ"を得ることはできなかった。彼は激しい努力をした。ラーマクリシュナが死の床にあったとき、ヴィヴェカナンダは彼に言った。「私の鍵を返してください」。だが、ラーマクリシュナは言った。「だめだ、お前は危険に思えるからだ。そうした力が、そのように用いられてはならない。お前は待つがいい。お前はまだそれに見合うほど純粋ではない。お前は泣きつづけ、瞑想しつづけなさい」

 そしてヴィヴェカナンダは、自分が死ぬまさに三日前に、もうひとつの"サトリ"を得た。そして自分の死が来たことを知った。

Osho SUFIS : THE PEOPLE OF THE PATH, Vol.1, pp.290-292
Copyright © 2011 Osho International Foundation

2016/08/25

ケチ : OSHO

元記事

自分のエネルギーを出し惜しみしているような気がします

だったら覚めていなさい……覚めていることだ。非難してはいけない。非難は助けにはならない。それはあなたをもっと後ろめたい気持ちにさせ、後ろめたい気 持ちを抱いている人はもっとケチになる。そのことを理解しようとしなさい。自分のエネルギーを出し惜しみしているのなら、理解しようとしなさい、「私は自 分のエネルギーを出し惜しみしている、分かち合おうとしていない」ということを。この事実をそこに置いておきなさい。そして改めて関係に、人びととの関係 に入っていき、この事実を思い出す。思い出させてくれるように、この事実をつねにそこに置いておきなさい。

 そしてケチでないことをなにかやってみなさい……というのも、習慣というものがあるからだ。とにかくケチではないなにかをやってみなさい。ケチではないことをやりえさえしたら、あなたは言うだろう、「自分はなんてばかなことをやっていたんだ!」と。

  今日たまたま、私はあるアメリカ人の億万長者の生涯にかんする本を読んでいた。彼は1セントでも寄付というものをしたことがなかった。乞食は彼の家には来 なかったし、寄付をつのる人たちもけっして頼んだりはしなかった。彼が断ると知っていたからだ。彼は断固として断っただろう。

 あるとき、 ひとりの友人が大学への寄付を求めて、億万長者のところへやってきて言った、「君がくれるはずはないことはわかっているから、寄付をお願いしたりはしない よ。ただ偽の小切手をくれないか、二日後に返すから。でも、その小切手が役に立つんだ。1万ドルの小切手をくれないか、偽の小切手をね。そうしたら町中の 人に、君が1万ドルをくれたんだと見せて回ることができるから、他の人たちも寄付をしてくれるだろう。他の人たちから寄付を集めたら、君の寄付金はお返し するよ」

 なにもまずいことはない、と億万長者は考えた。それに彼は友だちだったから、信用していい。彼が金を出すと、町中の人たちがその ことについて噂しはじめた。二日間ひっきりなしに、人びとが電話をかけてきた。人びとは彼のところにやってきて言った、「あなたはケチだと思っていました よ。間違っていました」

 二日後に、その友人がやってきた……彼は何千ドルもの寄付金を集めていた。彼は言った、「これが君の小切手だ。お返しするよ。われわれは大いに感謝してるんだ。それのおかげでたくさん集めることができたからね」

  ケチな男は泣きはじめた。彼は言った、「それはとっといてくれ。もうあと1万ドルやろう。なぜなら、与えることが人をどんなに幸せにするかを今まで知らな かったからだ。おおぜいの人が電話をかけてきたし、おおぜいの人が家にやってきた。生まれて初めて、私はまったく違う次元を見たんだよ。私はケチケチとた めにため込んできたが、この二日間ほどいい気分になったことはなかった。これからはどんどんあげることにするよ。町中の人に言ってくれ、なにか必要な人 は、ここに来るようにと。夜中だってかまわない、私は喜んでくれてやろう。それを味わってしまったんだ……」

 だから唯一あなたにできるの は、ケチでないことをなにかやって、その分かち合いの次元を味わうことだ。それがいい感じだったら、なんの問題もない。あなたはまたそれをやるだろう。い い感じでなかったら、やはり問題はない。古いパターンに戻ればいい。だれも行く手をさえぎってはいない。

 しかし、後悔したり非難したりするのはよくない。たんに自分のやり方や動き方に、自分の心のメカニズムの働き方にもっと意識的になるだけだ。わかったかね?

2016/08/23

OSHO トランスフォーメーション タロット 46

OSHO トランスフォーメーション タロット
46.探すこと、求めること、探究すること

日本語訳のサイトは こちら
内容が英語版と違うのでよかったら以下も参考にしてください。

こういうこと よくやってる気がします。笑

Osho Transformation Tarot
46. Searching for the house of God

Gather all courage and take a jump. You will still exist, but in such a new way that you cannot connect it with the old. It will be a discontinuity. The old was so tiny, so small, so mean, and the new is so vast. From a small dewdrop you have become the ocean. But even the dewdrop slipping from a lotus leaf trembles for a moment, tries to hang on a little more, because he can see the ocean... once he has fallen from the lotus leaf he is gone. Yes, in a way he will not be; as a dewdrop he will be gone. But it is not a loss. He will be oceanic. And all other oceans are limited. The ocean of existence is unlimited.

I have talked many times about a beautiful poem of Rabindranath Tagore. The poet has been searching for God for millions of lives. He has seen him sometimes, far away, near a star, and he started moving that way but by the time he reached that star, God had moved to some other place. But he went on searching and searching--he was determined to find God's home--and the surprise of surprises was, one day he actually reached a house where on the door was written: "God's Home."

You can understand his ecstasy, you can understand his joy. He runs up the steps, and just as he is going to knock on the door, suddenly his hand freezes. An idea arises in him: "If by chance this is really the home of God, then I am finished, my seeking is finished. I have become identified with my seeking, with my search. I don't know anything else. If the door opens and I face God, I am finished--the search is over. Then what?"

He starts trembling with fear, takes his shoes off his feet, and descends back down the beautiful marble steps. His fear is that God may open the door, although he has not knocked. And then he runs as fast as he has never run before. He used to think that he had been running after God as fast as he could, but today he runs as he has never run, not looking back. The poem ends, "I am still searching for God. I know his home, so I avoid it and search everywhere else. The excitement is great, the challenge is great, and in my search I continue to exist. God is a danger--I will be annihilated. But now I am not afraid even of God, because I know where he lives. So, leaving his home aside, I go on searching for him all around the universe. And deep down I know my search is not for God; my search is to nourish my ego."

Rabindranath Tagore is not ordinarily associated with religion. But only a religious man of tremendous experience can write this poem. It is not just ordinary poetry; it contains such a great truth. This is the situation: blissfulness does not allow you to exist; you have to disappear. That's why you don't see many blissful people in the world. Misery nourishes your ego--that's why you see so many miserable people in the world. The basic, central point is the ego.

For the realization of ultimate truth, you have to pay the price--and the price is nothing but dropping the ego. So when such a moment comes, don't hesitate. Dancingly, disappear... with a great laughter, disappear; with songs on your lips, disappear.

2016/08/13

OSHO : 何かを達成しようという観念は いっさい捨てなさい



元記事

<初期書簡集より>
1962年

拝啓

愛情のこもった便りをありがとう

あなたは、瞑想をしていると言う
それは喜ばしいことだ

瞑想で、何かを達成しようという観念は
いっさい捨てなさい

ただ、自然に瞑想するがいい
起こることは、自然に起こる

ある日、骨折らずとも
あらゆることが、ひとりでに起こり始める

努力というものは、瞑想にはつながらない
実際には、それは邪魔物だ

努力、訓練、勉学というようなものは
そのなかに緊張がある

どんな期待でも
たとえ、安らぎへの期待であっても
落ち着きのない状態をもたらす

その緊張が、なくならなければならない
緊張がなくなるや否や
聖なる安らぎが訪れる

「自分がやっている」
という感覚を持つのをやめなさい

その代わりに
「在るそのものの手に、自分をゆだねる」
ということを、了解するがいい

明け渡すのだ
自分を完全に、明け渡しきってごらん

これをするが早いか
「空」(くう)が訪れる

「呼吸も体も、リラックスして来ている」
と、あなたは言う

これが、マインドについても起こるだろう
マインドが去ったとき
何が起こるかは、筆舌に尽くしがたい

わたしは、あなた方両人に
これが起こるであろうことを、知っている

ただ自然に、目的意識を持たずに続けなさい

まもなく、わたしもそちらに行く
それまで、わたしが今言ったことを
静かに続けてごらん

みなさんに、よろしく
書きたくなったら、いつでも手紙を書きなさい

わたしは、完全な至福の内にある


OSHO:「ア・カップ・オブ・ティー」(めるくまーる社)より
by mudito

2016/08/12

OSHO トランスフォーメーションタロット 39 創造性

OSHO トランスフォーメーションタロット
39 創造性

あなたの狂気、あなたの否定性、あなたの破壊性を、
あなた自身とほかの人に対して用いるのをやめましょう。
それはこれまでやりやすいことだったのです。
破壊なら、子どもにもできます。
いまはもう、内側にあってまったくなじみのないなにかに向かいましょう。
それには途方もない勇気、途方もない力が要ります。
あなた自身にあなたの創造性を表現させましょう。



これは仏陀のことを語った物語だ。
 ほとんど狂っている人がいた。狂っている殺人者だ。彼は千人の人びとを殺すという誓いをたてていた。社会が彼をひどく扱ったから、それ以下ではだめだった。千人の人びとを殺すことで、彼は復讐するつもりだった。そして彼は、殺した人一人ひとりから指を一本取って、自分の首にかけるロザリオを作る――千本の指のロザリオ。この誓いがもとで、彼の名前はアングリマーラ――『指のロザリオをかけている人』になった。
 彼は九百九十九人の人びとを殺した。アングリマーラが近くにいることを知ると、人びとは誰もその方角には行かなかった。人の往来が止まったものだ。そして、彼には最後の人間を見つけるのがとてもむずかしくなっていた。自分の誓いが成就するには、あとひとりだけでよかったのだ。
 仏陀は森に向かっていた。すると、村から人びとが彼のところに来て言った。「行ってはいけません! あそこにはアングリマーラが、あの狂った人殺しがいます! 彼は思い直したりはしません、あっさりと殺してしまうのです。彼はあなたが仏陀だという事実を考えたりはしないでしょう。向こうには行かないでください! 別の道があります……」
 だが仏陀は言った。「もし私が行かなかったら、誰が行く?……彼は人間だ。彼には私が必要だ。私は危険を冒さなければならない。
彼が私を殺すか、それとも私が彼を殺すかだ」
 仏陀は行った。最後の最後まで彼といっしょにいると言っていたもっとも近い弟子たちでさえ、あとずさりし始めた。これは危なかった!
 だから、アングリマーラが岩の上に坐っている、その丘に仏陀が近づいたときには、彼の後ろには誰もいなかった。彼は独りだった。弟子たちは消えていた。
 アングリマーラは、この無垢で、子どものような人を見た。あまりにも美しかったので、殺人者である彼ですらその人に慈悲を感じた。彼は考えた。「この人は私がここにいることにまったく気づいていないようだ。そうでなければ誰もこの道を通っては来ない」。さらに彼は考えた。「この人を殺すのは良くない。彼を行かせることにしよう。誰かほかの人を見つければいい」
 彼は仏陀に向かって叫んだ。「戻れ! いまそこで止まって戻るんだ! それ以上足を踏み出してはだめだ! 私はアングリマーラだ。
それに、見ろ、ここには九百九十九本の指がある。あと一本の指が必要なんだ――たとえ私の母が来ようとも、私は彼女を殺して自分の誓いを成就させる! だから近づいてはいけない。私は危険だ!
 それに、私は宗教の信者ではない……お前は非常に善良な僧、偉大な聖者かもしれないが、私はかまわないぞ。お前の指でも誰の指でもかまわないんだ。一歩も先へ進むな、さもないとお前を殺す。止まれ!」だが仏陀は進みつづけた。
 そこでアングリマーラは考えた。「こいつは耳が聞こえないか、狂っているかだ」。もう一度彼は叫んだ。「止まれ! 動くな!」
 仏陀は言った。「私はずっと前に止まった。私は動いていない。
アングリマーラ、お前は動いている。私にはゴールはない……それに、動機がなければ、どうして動きが起こりえよう? おまえが動いているのだ――そして、私はお前に言おう、お前こそ止まるのだ!」
 アングリマーラは笑い出して言った。「お前はほんとうにばかか、狂っているかだ。お前がどんな礼儀を心得ているのか私にはわからない!」
 仏陀は近づいて言った。「お前にはもう一本の指が必要だと私は聞いた。この身体に関するかぎり、私のゴールは達成されている。この身体は役に立たない。お前がそれを使うがいい。お前の誓いは満たされるだろう――私の指を切り落とし、私の頭を切り落とすといい。私は目的があって来た。これが、私の身体がなんらかの意味で使われる最期の機会だからだ」
 アングリマーラは言った。「私はこのあたりでは自分だけが気違いだと思っていた。が、賢くあろうとはしないことだ。それでも私はお前を殺すことができる」
 仏陀は言った。「私を殺す前に、ひとつのことをやってほしい――死んでゆく者の願いにすぎないが――この枝を切ってほしい」。アングリマーラが剣を樹に振りおろすと、大きな枝が落ちた。
 仏陀は言った。「もうひとつだけ――それをもう一度樹につけてほしい」
 アングリマーラは言った。「お前が完全に狂っていることがこれでわかった。私は切ることはできるが、つなぐことはできない」
 すると仏陀は笑い始めて言った。「壊すだけで創ることができないなら……お前は壊すべきではない。破壊は子どもでもできる。それには少しも勇ましいところはない。この枝は子どもでも切れる。だが、それをつなぐにはマスターが必要だ。それに、もしお前に、枝を樹につなぎ戻すことができないのなら、人間の頭だとどうなる? お前はそのことを一度でも考えたことがあるのか?」
 アングリマーラは目を閉じて言った。「その道に私を導いてください」。そして、その一瞬のうちに、彼は光明を得たと言われている。
 気違いになるエネルギーをもっている人は、光明を得るエネルギーももっている――それは同じエネルギーだ。向きが変わっただけだ。あなたが創造的になれなかったら、エネルギーは破壊的になる。
Osho THE MUSTARD SEED, pp.137-142
Copyright © 2011 Osho International Foundation

2016/07/26

あなたは、ただ見守る

元記事:「同一化」とは、どういう意味ですか?


私が言っていることのすべては、見守ることは正しく、見守らないことは間違っている、ということだ。
私はそれを、本当に単純化した――「油断なくありなさい」。

もし欲望が通り過ぎるなら、そうさせるがいい――それはあなたの知ったことではない。もし怒りが通り過ぎるなら、そうさせるがいい。干渉するあなたは誰な のか? なぜあなたは、それほどマインドに同一化するのか? 「私は貪欲だ......私は怒っている」と、なぜあなたは考え始めるのか? 怒りの思考が通り過ぎているだけだ。通り過ぎさせるがいい――あなたは、ただ見守る。

古い物語がある......町の外に出かけていた男が帰ってみると、自分の家が燃えているのを発見した。それは町で最も美しい家のひとつで、彼はその家を 愛していた。多くの者がその家に2倍のお金を払う用意があったが、彼は決してどんな値段にも同意しなかった。そして今、目の前で、家は燃えている。何千人 もの人びとが集まっているが、何もするすべがなかった。

何かを運び出したくても何も救えないほど、火は広がってしまっていた。だから、彼はとても悲しくなった。そこへ彼の息子が走りより、耳元で囁いた――「心 配しないで下さい。私は昨日、この家を売りました。それも3倍の、とてもよい値で......。 その申し出があまりに良かったので、あなたを待つことさえできませんでした。許して下さい」。

しかし父親は言った、「それはよい、お前がもとの値の3倍で売ったというのなら」。それから父親もまた、他の人びとと共に、立会人になった。ほんの一瞬 前、彼は立会人ではなく、同一化していた。同じ家、同じ火事、すべては同じだ――しかし今、彼は心配していない。彼は、他の皆のようにただ楽しんでいる。

それから、2番目の息子が走って来て、父親に言った、「何をしているんですか? 笑っているなんて――家が燃えているというのに?」
父親は言った、「知らないのか? 兄が家を売ったのを」
息子は言った、「彼は売ることについて話しはしましたが、まだ何も契約されていません。今、その男は買うつもりはないでしょう」
再び、すべては変わる。消えていた涙は、また父親の目に戻って来た。もはや彼の笑顔はそこにはなく、心臓は速く打っている。立会人は去った。彼は再び同一化している。

それから、3番目の息子がやって来て言った、「その男は言ったことに責任を持つ男です。私は今、彼のもとから来ました。彼は言いました、『家が燃えたか、 燃えてないかは問題ではない。それは私の家だ。そして私は話した金額を支払うつもりだ。家が火事になることは、あなたも知らなければ、私も知らなかったの だから』」
再び、父親は立会人だ。もはやそこに同一化はない。実際、何も変わってはいない――ただ、「私は所有者だ。私はともかく家と同一化している」とい う単なる考えが、すべてを変えてしまう。次の瞬間、彼は感じる――「私は同一化していない。他の誰かがそれを買い、私にはまったく関係ない。家は燃えれば いいさ」 。

マインドを見守るというこの単純な方法は、あなたは少しもそれとは関係がないということだ......。思考の 大部分は、あなたのものではなく、両親や、先生や、友達や、本や、映画や、テレビや、新聞からのものだ。いくつの思考があなた自身のものか、ちょっと数え てごらん。すると驚くだろう、ただのひとつの思考も、あなた自身のものではない。すべては他の源から来ていて、すべては借り物だ――他の人によってあなた に投げ捨てられたにせよ、愚かにもあなた自身が自分に落としたにせよ、何ひとつあなたのものではない。

マインドはそこにあり、コンピューターのように機能する――文字通り、バイオコンピューターだ。あなたはコンピューターには同一化しないだろう。もしコン ピューターが熱くなっても、あなたは熱くならない。もしコンピューターが怒りだし、卑猥な言葉でシグナルを与えはじめても、あなたは心配しないだろう。あ なたは何が間違っているのか、どこに問題があるのかわかる。でも、あなたは超然としたままだ。

ほんの小さなコツだ......。私はそれを方法とさえ呼べない。なぜならそれは、重い感じにさせるからだ――私はコツと呼ぶ。ただそれをすることによ り、ある日突然、あなたはそれができる。何度もあなたは失敗するだろう――それを心配することはない......何の損失もない、それは自然だ。しかし、 ただそれをすることで、ある日それが実際に起こる。

ひとたびそれが起こったら、ひとたび、たとえ一瞬でも観照人になったら、どのように観照人――遠く離れた丘の上のものみ――になるか、今やあなたは知って いる。そして、マインドのすべては暗い谷底深くにあり、あなたはそれについては何もしない。マインドに関するもっとも奇妙なことは、もしあなたが観照人に なると、それは消え始めるということだ。ちょうど光が暗闇を追いやるように、油断のない気づきは、マインドと、その思考と、それに付随するものすべてを分散させてしまう。

だから、瞑想とは単に、油断なく醒め、気づいていることだ。するとそれは、あらわになる――瞑想は発明とは少しも関係ない。それは何も発明しない。それは、そこにあるものを単に発見するだけだ。

そして、何がそこにある? あなたが内に入ると、途方もなく美しく、とても静かで、光に満ち溢れ、芳香に溢れた、無限の虚空を見つける。あなたはその中へ入った――神の王国へと。私の言葉で言えば、あなたは神聖であるものの中へと入った。

そして、ひとたびあなたがこのスペースに入ったら、そこから出たとき、まったく新しい人物、新しい人間になっている。今あなたは、自分の本来の顔を持って いる。すべての仮面は消えた。あなたは同じ世界に住んでも、同じ方法ではない。あなたは同じ人びとのなかにいても、同じ態度ではなく、同じ接し方ではな い。あなたは水に浮かぶ蓮のように生きる――水の中にあっても、水にはまったく触れられずに。


Osho: From Unconsciousness to Consciousness, #20

2016/07/25

生こそ究極の価値

OSHO:聖なる祝福ーーそして、人は生をそう心得るべきなのだ。
それは測り知れない価値を持った贈り物であり、
人はそれを無駄にすべきではない。
それは成長し、在るための大いなる機会であって、
人はただ押し流さているべきではない。

一銭も払わずにそれを手に入れたために、われわれはそれ無価値だと思い込んでいる。
まるで、それがたいした意味のないものであるかのように生きて行く。

われわれはごくつまらないものごとに、より多くの注意を払う。
大きな家、お金、地位、みんなからの尊敬ーー。

ところがわれわれは、けっして生と、その本質的価値について考えようとしない。
ほかのすべては、生に比べればほんの取るに足らないものでしかない。
だから、最大の祝福はもうすでに起こっているのだ。
生きているということによって、人はもうすでに神から受け容れられるのだ。
もうすでに大変な贈り物をもらっている。
生きているということによって、
あなたはもうすでに<全体>から愛されているのだ。
だからこそあなたは在る。
さもなければあなたなどいなかっただろう。

<全体>は、あなたがいることを望んでいる。
<全体>は、あなたの存在を祝っている。
<全体>は、あなたがいるということを喜んでいるのだ。
だから、絶対に何かを生以上のものとして考えてはならない。
ーーほかのあらゆるものは、生以下にすぎないのだ。
生こそ究極の価値なのだ。
あらゆるものは、生のためになら犠牲にされ得る。

しかし、生はいかなるもののためにも犠牲になどされ得ない。
人びとは無価値なものごとのために生を犠牲にすることを教え込まれてきた。
お金のために、自分の生を犠牲にする。
尊敬のために自分の生を犠牲にする。
名誉のために自分の生を犠牲にする。
政治のために、キリスト教のために、ヒンズー教のために、
いわゆる宗教のために自分の生を犠牲にするーー。
人びとはびた一文のために生を犠牲にすることを教え込まれてきた。
何が何でもとにかく自分の人生を犠牲にしろーー。

しかし生こそ究極の価値なのだ。
あらゆるのもは生の犠牲にされ得る。
が、生は何ものの犠牲にもされ得ない。
あらゆるものは生の犠牲にされ得る。
が、生は何ものの犠牲にもされ得ない。
なぜならば、生こそ神だからだ。

2016/07/23

OSHOトランスフォーメーションタロット 変容


38. 変容
アティシャのエクササイズをただ試みてみましょう。世界のすべての苦しみを自分のハートのなかに取り込んで、祝福を注ぎ出します。それはすばやい効果をもたらします。今日それをやってみましょう。

さあ、彼は、慈悲心をもつことを始めなさい、と言う。そして、その手法とは、息を吸うとき――注意して聴きなさい、それはもっとも偉大な手法のひとつだ――息を吸うとき、自分は世界のあらゆる人びとの惨めさをすべて吸い込んでいると考えることだ。あらゆるところに存在するあらゆる暗闇、あらゆる否定的なもの、あらゆる地獄、それをあなたは吸い込んでいる。そしてそれを、あなたのハートに吸収させる。
 息を吸い込むとき、世界の――過去、現在、そして未来の、すべての存在のあらゆる惨めさと苦しみを吸い込む。そして息を吐き出すときは、あなたがもっている喜びのすべて、あなたがもっている至福のすべて、あなたがもっている祝福のすべてを吐き出す。息を吐き出す――あなた自身を存在に注ぎ入れる。これが慈悲の手法だ。
すべての苦しみを飲み込んで、すべての祝福を注ぎ込む。

 それをやってみると、あなたは驚くだろう。世界のあらゆる苦しみを自分の内側に取り込んだ瞬間、それらはもう苦しみではない。
ハートがすぐにそのエネルギーを変容させる。ハートは変容する力だ。惨めさを飲み込むと、それは至福に変容されている……。それからそれを注ぎ出す。
 自分のハートはこのマジックを、この奇蹟を行うことができると一度学んだら、あなたはそれを何度も何度もやりたくなるだろう。
それを試してごらん。それはもっとも実用的な手法のひとつだ――
単純で、しかもすぐに効果が現れる。今日それをやってみるがいい。

Osho THE BOOK OF WISDOM, Vol.1, pp.21-22
Copyright © 2011 Osho International Foundation

2016/07/05

OSHO 禅タロット 理解

OSHO 禅タロット
水のペイジ
理解

OSHO:
あなたは牢獄から出ている、鳥かごから出ている。
あなたは翼を広げることができるのだ。そうすれば、空全体があなたのものだ。
すべての星と月、そして太陽は、あなたに属している。あなたは超えたものの蒼(あお)さの中へと、消えていくことができる……。
ただ、この鳥かごへの執着を落とし、鳥かごから出ていくだけで、空全体があなたのものになる。翼を広げ、鷲(わし)のように、太陽を横切って飛ぶがいい。
内なる空では、内なる世界では、自由にこそ最高の価値がある。ほかのことは、至福、エクスタシーですら、すべて二の次だ。
花は数えきれないほど無数にある。だが、それらはすべて、自由という風土のなかで咲くことができる。

解説:
このカードに描かれている鳥は、鳥かごのようなもののなかから外を見ています。しかし、それには扉もついていませんし、事実、柵も消えかけています。柵は幻想だったのです。そして、ほかの鳥たちの優美さと自由、励ましによって、この小さな鳥は出てくるように呼びかけられています。翼を開き始め、まさに初めて飛び立とうとしています。鳥かごはこれまでずっと開かれたまま、空は私たちの探険を待ち受けていつもそこにあったのだという、新しい理解の曙――それは、初めのうちは私たちをちょっと震えさせることもあるでしょう。それでいいのです。震えてしまうのは自然なことです。しかし、その震えのすぐそばに差し出されている軽やかさと冒険を体験する機会を曇らせてしまわないようにしましょう。この時期の甘美さと優しさと共に進みましょう。内側の羽ばたきを感じてください。自らの翼を広げ、自由になりましょう。

2016/06/24

OSHO 禅タロット ガイダンス

OSHO 禅タロット 虹の3 
ガイダンス

OSHO
あなたがガイダンスを求めなければならないのは、自分 の内なるガイドは自分の内側に隠されていることを知らな いからだ。あなたはその内なるガイドを見つけださなけれ ばならない。それこそ、あなたの観照と私が呼ぶものだ。
それこそ、あなたの"ダルマ"と私が呼ぶものだ。それこ そ、あなたにもともと内在するブッダと私が呼ぶものだ。
あなたはそのブッダを目覚めさせなければならない。そう すれば、あなたの生は祝福を、恩恵を降らせるようになる。
あなたの生は善きことで、神々しさで、素晴らしく輝き を放つようになる。あなたの想像をはるかに超えて——。
それはほとんど光のようだ。あなたの部屋は暗い。ちょ っと光を持ち込むがいい。小さな蝋燭(ろうそく) ですら役に立つ。
それで暗闇全体が消える。そして、いったん蝋燭を手に したら、どこに扉があるのかわかる。「扉はどこだろう?」 と考えなくていい。扉はどこだろうと考えるのは、目の見 えない人たちだけだ。目のある人たちは、光がそこにある のだから、考えたりしない。「扉はどこだろう」と、一度 でも考えたことがあるかね? あなたはただ起き上がっ て、出ていくだけだ。どこに扉があるのか、少しも考えな い。扉を探して手さぐりしはじめたり、壁に頭をぶつけだ したりしない。あなたはただ見るだけだ。そして、思考の かすかな動きすらない。あなたはただ出ていくだけだ。

解説:
このカードの虹色の翼をもつ天使の像は、私たちひとりひとりが 内側に宿しているガイドを表わしています。このガイドがやって 来ても、私たちは背後にいる二番目の人物のように、少し信頼が 欠けてしまうことが時々あります。それは、私たちが内側からで はなく外側からきっかけをつかむことに慣れてしまっているから です。あなた自身のもっとも深い実存の真理が、まさに今ど こに行けばいいのかをあなたに示そうとしています。そして、こ のカードが現われたときは、あなたは与えられている内なるガイ ダンスを信頼することを意味しています。それは囁くよう に話しかけ、時として私たちは、正しく理解したかどうかわから ずに、躊躇してしまうこともあります。それでも、示されている ことははっきりしています。内なるガイドに従うことで、あなた はもっと全体的な感じが、もっと統合された感じがしてきます。 まるで自分の実存の中心そのものから外に向かって動いているか のように——。もし、あなたがそれと共に進んだら、この光線が、 あなたの行く必要のあるところへ正確に連れていってくれるでし ょう。

OSHOの4つのタロットを引く

Osho Zen Tarot
Osho Transformation Tarot
Osho Tantra Tarot
Osho From Heart To Heart
の4つを ネットでひくことができるみたいです。
ただし・・・・ 
英語のみです 号泣


なんと 
引き方も選ぶことができます。

禅タロットや トランスフォーメーションタロットは
日本でも引けるのですが
それ以外のタロットは どんなメッセージがでるんでしょうか
翻訳サイトなどを使いながら 引いてみても面白いかもしれませんね

元のサイトさま OSHO SATORI MEDITATION CENTER<

2016/06/22

開きなさい そうすれば あなたにもわかるだろう・・・

facebookでシェアされていた OSHOの講和から


ある人が
「私は恩寵を受け取った」
と言うのは正しいが、
「あの人は恩寵を受け取った」
と私たちが言うのは間違っている。

私たちは、
またしても自分をごまかしている。
私たちが自分をごまかすのは、
その人に起こった
大いなる変容を認めていないからだ。

自我のせいで、
私たちはそれを認めることができない。
自我は言う。
「神はあの人に
 恩寵を与えておられるのに、
 私には下さらない」
と。

そうなったら、
私たちは、
神は特定の誰かに
恩寵を下さるという
ひじょうに誤った考えを
抱くことになる。
神は恩寵そのものだ。

神は恩寵を
受け取る用意が整った人には
いつも与えている。
神には与える用意がある
ということですらない。
神は常に与えている。

あなたに
受け取る用意ができていないときでさえ、
神は与えている。
あなたが閉じているときでさえ、
神は雨のように降り注いでいる。
神の祝福は雨のように降り注いでいる。
開きなさい、
そうすれば、
あなたにもわかるだろう。
意識して、開いているがいい。
そうして初めて、
愛とは何か、
恩寵とは何か、
慈愛とは何かを知ることができる。

それらはひとつであり、
同じものだ。

それらは別のものではない。
それらは基本的にひとつであり、
同じものだ。
そうして初めて、
祈りが何であるかを知ることができる。
障壁がそこになければ、
祈りとは何かを求めることではなくなる。
それは物乞いではなく、感謝だ。
何かを乞い求めて祈るとき、
そこにはかならず障壁がある。
物乞いは障壁だ。
マインドは障壁だ。

祈りが感謝であれば・・
何かを求めるのではなく、
森羅万象の
すべてに対する感謝であれば・・
恩寵を受け取るたびに、
あなたは感謝を覚える。

神の側からは恩寵が注がれ、
あなたの側から感謝が起こる。
私たちは感謝というものを
まったく知らない。

恩寵を知るまで、
私たちは感謝を知ることができない。
神の恩寵を感じ取るまで、
私たちは感謝を覚えることができない。
だが、
それを知り、
感じ取ることは可能だ。

探究を始めてはいけない。
神に関する詮索を始めてはいけない。
このような探究は
何世紀にもわたって続けられてきた。
哲学者たちは神の属性とは何かと
考えつづけてきた。
「これは神の属性だが、あれは違う」
と言う形而上学者たちがいた。
「神には属性がない・・ニルグナ」
と言う者もいれば、
「神には様々な属性がある・・サグナ」
と言う者もいる。

だが、
自ら体験したことのないものを
どうして知ることができるだろう?
神に属性があるか否か、
神は愛に満ちているか否かを
どうして私たちが判断できるだろう?
そんなことをいくら考えても、
決着はつかない。
判断を下すことなど不可能だ。

形而上学は
私たちを不条理へと導いてゆく。
人間の想像力が論理的になると、
私たちは何かを達成したと思い込むが、
実際には何も達成していない。
想像力は私たちのものであり、
論理は私たちのものだ。
私たちは何ひとつ知らない。

形而上学を避けるつもりなら、
常に自分自身から始めることだ。
形而上学を避けることができなければ、
宗教的にはなれない。
形而上学と宗教は対極だ。

決して神から始めてはいけない。
常に自分のマインドから始めなさい。
自分がいるところ・・
常にそこから始めなさい。

Osho - I Am The Gate

OSHO 禅タロット 信頼

水のナイト 信頼

OSHO
いずれ取り去られてしまうものを求めて自分の生を無駄にしてはいけない。生を信頼するがいい。信頼して初めて、あ なたは自分の知識を落とすことができる、 自分の心(マインド)を脇に置くことができる。そして、 信頼と共に、なにか途方もないものが開け放たれる。そうなったら、この生はもはや普通の生では ない。それは神で満たされ、あふれるようになる。ハートが無垢で、いくつもの壁が消えたとき、あなたは無限と橋渡しされている。そして、あなたは幻惑され てはいない。あなたから取り去ることのできるものはなにもない。取り去る ことのできるものには、取っておくだけの価値はない。そして、取り去ることのできないものであれば、それが取り 去られてしまうことをなぜ怖れなけれ ばならないのかね? それは取り去ることができないのだ。そんなことはありえない。自分のほんとうの宝を失 うことなどありえない。

解説
今こそバンジー・ジャンパーになるときです。紐を結ばずに! そして、なにかを取っておいたり、秘密の安全ネットを張ったり しない、絶対的信頼というこの質こそが、「水のキング」が私たち に要求するものです。ジャンプして、未知なるものへ入っていけ るとなったら、考えただけでも死にそうなくらい怖いのですが、 それでも、この上なく愉快な感じがします。そして、信頼を量子的(クォンタム) 跳躍(リープ)のレベルにまでもってくると、私たちはもはや念入りな計画 を立てたり用意したりはしません。「いいだろう、これから自分がなにをするのかわかっているのだか ら、信頼しよう。ちょっと片づけ、スーツケースに荷 物を詰めて、持って行こう」などとは言いません。そうではありませ ん。次になにが起こるのか考えもせずに、私たちはただジャンプ します。その跳躍、そして虚空を自由に落ちていくときの、その スリルが肝心なのです。それでも、このカードは、向こう側でな にが私たちを待っているのか、そのヒントをここで与えてくれて います——。ソフトで、喜んで迎え入れてくれる、おいしそうな ピンクのバラの花びら、ジューシーで……さあ、いらっしゃい!

数日前 カードを切ったら 一番に出てきたのがこのカードでした。
そして今日 ネットでカードをひいたら また このカード・・・

というわけで シェアさせてもらいます

2016/06/18

トランスフォーメーションタロットから それは罠

そう 
それは 罠。
  
もしかしたら 
無意識に
魅了されていたり
していませんか?







OSHO トランスフォーメーションタロット

9. 最も偉大な奇蹟 Greatest Miracle

心霊現象、突然襲ってくる至福、奇蹟に巻き込まれないように注意しましょう。それらをどこかに行き着いたしるしとして見てはいけません。行き着くところはどこにもありません。ただ普通でいて、楽しみましょう。
臨済に関して言われていることだ……

 彼の弟子のひとりが別のマスターの弟子と話をしていた。相手は言った。「私たちのマスターは奇蹟の人だ。望むことをなんでもやってのけることができる。 私は彼のやった奇蹟をたくさん見てきた。自分自身の目でそれを目撃したのだ。君のマスターにはどんなすごいところがある? どんな奇蹟をやってのけること ができる?」

 臨済の弟子は言った。「私のマスターにできる最も偉大な奇蹟は、奇蹟をやらないことだ」

 それに瞑想しなさい――「私のマスターにできる最も偉大な奇蹟は、奇蹟をやらないことだ」。奇蹟的な力が起こり始めると、弱い者だけがそれを行う。強い者はそんなことはしない――今度はそれがもうひとつの罠だと知るからだ。世界が再び彼を引き戻そうとしている。

 これは最後の罠だ。静かに、見守りながら、心霊エネルギーを避けることができたら、それに巻き込まれることなく、閉じ込められることなく、それらを過ぎ去らせることができたら、そのとき初めてあなたは家に着く。それは大変な誘惑だ。

Osho SUFIS : THE PEOPLE OF THE PATH, Vol.1, pp.287-288

2016/06/17

OSHO トランスフォーメーションタロット 

6. 強欲

 あなたのマインドとその強欲さ、そして信頼の不足に気をつけなさい。強欲が変容される機会は覚醒を通して訪れます。 インドの偉大な神秘家、ナラダは、神に会いに行こうとしていた。ヴィーナを奏でながら森を過ぎてゆくと、彼は樹の下に坐っている非常に年老いた聖者に出会った。

 年老いた聖者は言った。「私からの質問をひとつ、神にたずねてみてください。私は三生にわたってあらゆる努力をしてきています。そこで、あとどのくらいの努力が必要なのでしょうかか、私の解放はいつ起こるのでしょうか? と」

 ナラダは笑って言った。「オーケー」

 さらに歩いてゆくと、別の樹の下でエクターラをもって踊り、歌っている若者を見つけた。ナラダは彼に冗談のつもりでたずねた。「君も神になにかたずねて欲しくはないかい?」

 若者は答えなかった。彼はなにも聴かなかったかのように踊りつづけた。

 二、三日してナラダは帰ってきた。彼は老人に伝えた。「神に聞いてきた。彼はさらに三生だと言っていた」

 老人は怒り狂った。自分の数珠を、自分の聖典に投げつけた。彼は言った。「それではまるで不公平ではないか! さらに三生とは!」

 ナラダは若者のところに行った。彼はまたしても踊っていた。ナラダは言った。「君はたずねなかったけれど、ついでに君のことを神にたずねてきた。でも、いまとなっては君に伝えたものかどうか……。あの老人の怒りを見て、私は言い出しかねている」

 若者はなにも言わなかった。彼は踊りつづけていた。ナラダは彼に伝えた。「私がたずねたら、神はこう言った。『その若者に伝えなさい。お前は、その下で踊っている樹についている葉の数と同じだけ生まれてこなければならない!』 と」

 すると、若者はさらにもましてエクスタティックに踊り始めた。若者は言った。「そんなに早いのか? 世界にはとても多くの樹があるし、たくさんの葉がある……たったそれだけ? 今度神のところに行ったら、彼にありがとうと伝えてください!」

  そしてその若者は、まさにその瞬間に解放されたと言われている。もし信頼がそれほどまでにトータルだったら、時間は必要ない。もし信頼がなかったら、三生ですら充分ではない。そして、これは私の感触だが、その老人はいまでもどこかそのあたりにいるにちがいない。そのようなマインドは解放されえない。そのようなマインドこそ地獄だ。
Osho THE PERFECT MASTER, Vol.2, pp.287-289

2016/06/13

OSHO 禅タロット 条件付け(コンディショニング)

OSHO 禅タロット 
大アルカナ 15
条件付け (コンディショニング)


OSHO:
自分の人格を落とさないかぎり、あなたは自分の個で あること(インディヴィジュアリティ) を見いだすことなどできない。個であることは、 存在から与えられている。人格は社会が押しつけたものだ。 人格は社会のなかでは都合がよい。

社会は個であることに耐えられない。個であることは、 羊のように追従しないからだ。個であることにはライオン の資質がある。ライオンは独りで動く。

羊はつねに群れをなしている。群れのなかにいると楽で 居心地がいいはずだと期待している。群れのなかにいると、 守られて安全な感じがする。誰かが攻めてきても、群れの なかにいれば、自分を救える可能性がいくらでもある。だ が、独りだと? ライオンだけが独りで動く。

そして、あなたがたひとりひとりが、生まれつきのライオ ンだ。だが、社会が絶えずあなたがたを羊として条件づけ ている。あなたの心(マインド) を羊としてプログラムミングしている。

それがあなたに人格、当たり障りのない人格、素敵で、と ても都合がよく、ひじょうに従順な人格を与えるのだ。 社会は奴隷を望んでいる。どんなことがあっても自由に身を捧げてい る人びとなど望んでいない。社会が奴隷を望むのは、特権 をもつあらゆる者たちが従順さを望むからだ。

解説:
このカードは、あるライオンについての禅の古くからある話を思い出させ てくれます。

このライオンは羊に育てられたのですが、年老いた ライオンに捕まって池に連れていかれ、水面に映った自分の影を 見せられるまで、自分は羊だと思い込んでいました。

私たちの多 くは、このライオンに似ています——。私たちがもっている自己 のイメージは、自分自身が直接体験したことから生じるのでは なく、他人の意見から生じます。

内側から育つことができたかも しれない「個であること(インディヴィジュアリティ) 」が、外側から押しつけられた「人格(パーソナリティ)」 に置き換えられているのです。

私たちは群れのなかのもう一匹の羊にすぎなくなってしまい、自由に動くことができず、自分自 身のほんとうのアイデンティティを意識していません。

池に映 る自分の影をよく見て、他人からの条件付けによって自分はこう だと信じ込まされてきた、そのすべてを打ち破るために、動きだす時です。

踊り、走り、揺さぶり、ジベリッシュをしましょう——。 内側で眠っているライオンを目覚めさせるために必要なこと は、なんでもやりましょう。

2016/06/10

OSHO 禅タロット  道徳性

OSHO 禅タロット 
雲のクイーン 
道徳性

OSHO:
菩提達磨(ボーディダルマ)……は、
道徳家、厳格な人、いわゆる善人たち、空想的社会改良家たちをはるかに超えている。彼は問題を底の底まで理解している。

覚醒があなたのなかで湧き起こらないかぎり、あなたが たの道徳はすべて偽物だ。あなたがたの教養は誰にでも破壊できる薄い層にすぎない。だが、ひとたびあなたの道徳がなにか規律からではなく、あなたの覚醒から出てくるようになった ら、それはまったく別のものだ。そう なったら、あらゆる状況で、あなたは自分の覚醒から応じるようになる。

そして、あなたのすることはすべて良くなる。覚醒には悪いことなどなにひとつできない。それが覚醒の究極の美——。覚醒から出てくるものは、すべ てただ美しく、ただ正しく、どんな努力も訓練も伴っていないということだ。

だから、枝や葉を切るのではなく、根を切るがいい。そ して、根を切るには、ひとつの技法以外に方法はない。油断せずにいるための、醒めてあるための、意識してあるための技法 だ。

解説:
道徳が、生のすべての潤いとエネルギーをこの女性の心の狭い範囲に押しとどめています。
それは流れることができないので、 彼女はまさに「ひからびた古いプルーン」になってしまっています。彼女のマナーはすべてこの上なく礼儀正しく、堅苦しく、厳格です。
あらゆる状況を首に掛けている宝石のような、黒か白かにはっきり見わけようとしがちです。
「雲のクイーン」は、善と悪、罪と徳、容認できることと容認できないこと、道徳と不道徳という固定観念で育てられた私たちみんなの心に潜んでいます。
心が下すこうした判断はすべて、私たちが受けた条件づけによって生み出されているのを思い出すことが大切です。
そして、 私たちのその判断によって——判断を下した相手が、自分たちか、 あるいはほかの人たちかどうかを問わず——私たちは内側にある 美と神々しさを体験できなくなっているのです。
条件づけという 檻を突破し、私たち自身のハートの真実に行き着いて初めて、生をあるがままに見ることができるようになります。

2016/06/08

幸福のアート | OSHO

人を喜ばせること

  他人の期待に応えることをやめるがいい、それはあなたが自殺することになり得る
唯一のやり方だからだ。あなたは誰かの期待に応えるためにここにいるわけで はない、
そして他の誰もあなたの期待に応えるためにここにいるわけではない。決して他人の期待の犠牲になってはいけない、そして誰もあなたの期待の犠牲に してはいけない。

 これが、私が個人性と呼ぶものだ。
あなた自身の個人性を尊重し、他人の個人性を尊重するがいい。決して誰かの生を干渉してはならないし、誰にもあなたの生を干渉させてはならない。そうして初めて、いつかあなたは精神性の中へと成長することができる。

  さもなければ、99パーセントの人びとは、ただ自殺するだけだ。彼らの生全体は、緩慢な自殺以外の何ものでもない。この期待、あの期待に、応え続ける…… ある日は父親の、ある日は母親の、ある日は妻の、夫の期待に応え続け、そして子どもが生まれ――彼らもまた期待する。それから社会、聖職者と政治家。まわ り中の誰もが期待している。そしてかわいそうなあなたがいる、
ただかわいそうな人間が――全世界があなたに、これをやるように、あれをやるようにと期待し ている。そしてあなたは彼らの期待すべてに応えることはできない、なぜならそれらは相反しているからだ。

 あらゆる人の期待に応えようとして、あなたはおかしくなってしまった。そしてあなたは、誰の期待にも応えなかった。誰も幸せではない。あなたは道に迷い、疲れきってしまい、そして誰ひと り幸せではない。自分自身と共にいて幸せでない人びとは、幸せになり得ない。あなたが何をしても、彼らはあなたに不満を感じる方法を見つける。なぜなら彼 らが、幸せでいることができないからだ。

 幸福とは、人が学ばなければならないアートだ。
それは、あなたが何をやるか、やらないかには関係がない。

人を喜ばせる代わりに、幸福のアートを学ぶがいい。

2016/06/07

OSHO トランスフォーメーションタロット

41. 失敗

あなたが独りで、全体からかけ離れてなにかをやろうと企てると、なんであれそれは失敗に終わります。成功は神のなかに、そして神とともにあります。

私は内なる恋人に話しかけて言う
  私たちは  鳥や動物や蟻たちを愛するある種の精神があることを感じ取っている――  おそらくそれは  あなたの母の子宮のなかで  あなたに輝きを与える者と同じなのだろう
  いまではまったく孤児になって歩き回っているあなたは  理にかなっているだろうか?
  あなたが自分に背を向けて  独りで暗闇のなかに入っていこうと  決めたこと――  それがほんとうのところだ
  いまではあなたは他者のなかにもつれ込み  かつては自分が知っていたことを忘れている  だからこそあなたがやるあらゆることのなかに  不気味な失敗が含まれているのだ
 それを自分の生のなかで見守ったことはないだろうか? あなたのやることは失敗しつづけている。それでもあなたは要点を見ない……あなたは、やるべきよ うには自分はそれをやらなかったのだと考える。そこであなたは別の計画を試みて、再び失敗する。そうなるとあなたは、自分の技能が充分ではなかったのだと 考える。そこであなたは技能を学んで、またしても失敗する。それからあなたは、「世界が私に反対している」、あるいは、「私は人びとの嫉妬の犠牲者だ」と 考える。あなたは、なぜ自分は失敗したのかという説明を見い出しつづける。だが、自分の失敗のほんとうの基盤をけっして掘り当てはしない。
 カビールは、失敗とはあなたから神を引くことだと言う。あなたとしてのあなたが失敗の根本的な原因だ。成功は神のなかに、そして神とともにある。宇宙の 精神、タオ――存在全体に充満し、浸透する法――を感じ取るがいい。あなたはそれから生まれ、いつの日かそれに帰ってゆく。
Osho THE REVOLUTION, pp.150, 177-179

2016/06/06

OSHO 禅タロット 愚者 THE FOOL

OSHO ZEN TAROT
大アルカナ 0 / THE FOOL(愚者)

 
愚者とは、
信頼しつづける者のことだ。
愚者とは、
自分のすべての体験を顧みず、
信頼しつづける者のことだ。

あなたがだましても、
その人はあなたを信頼する。
もう一度だましても、
あなたを信頼する。
さらにだましても、
あなたを信頼する。

そうなるとあなたは、
この人は愚かだ、
学ばない、
と言うだろう。

その人の信頼は途方もない。
その信頼はあまりにも純粋だから、
それを堕落させることなど誰にもできない。

タオイストの意味で、
禅の意味で、
愚者であるがいい。

自分のまわりに
知識の壁を築こうとしてはいけない。
どんな体験がやって来ようとも、
それを起こらせ、
そして、
それを落としつづけることだ。

たえず自分の心(マインド) を
きれいにしつづけるがいい。
過去に死につづけるがいい。

そうすれば、あなたは
生まれたばかりのまさに赤ん坊のように、
現在に、今ここにとどまる。

最初のうちは、
それはひじょうにむずかしいだろう。
世間があなたを利用しようとしはじめる……
そうさせておけばいい。
彼らは哀れな人たちだ。
たとえあなたが詐欺にあい、
だまされ、
奪い取られたとしても、
起こるに任せるがいい。

というのも、
ほんとうの意味であなたのものを
あなたから奪い取ることなど
できないからだ。
ほんとうの意味であなたのものを、
あなたから盗むことなど
誰にもできないからだ。

そして、
機会あるごとに、
あなたが自分を堕落させる状況を許さなくなると、
その機会が内側での統合をつくりだす。
あなたの魂(ソウル) は
さらに結晶化するようになる。

Osho
Dang Dang Doko Dang Chapter2

解説:

 瞬間から瞬間へ、しかも一歩ごとに、「愚者」は過去を後にします。彼は手にした白い薔薇(ばら) で象徴される自分の純粋さ、無垢、そして信頼以外のものはなにひとつ携えていません。

 身につけているベストの模様はタロットの4つの要素の色をすべて含み、彼が自分のまわりにあるすべてと調和を保っていることを示しています。「愚者」の直観の働きはそのピークに達しています。

 未知へのこのジャンプをするにあたって、「愚者」はこの瞬間に宇宙の支えを得ています。生という川のなかで冒険が彼を待ち受けています。

 このカードは、まさにいま、自分の直観、ものごとの「正しさ」という自分のフィーリングを信頼することができたら、あなたは間違うことなどありえないことを示しています。あなたの行動は他人の目には「愚か」に映るかもしれません。

 あるいは、もしあなたが自分の行動を合理的な頭(マインド) で分析しようとしたら、あなた自身から見ても「愚か」に見えるかもしれません。

 しかし、「愚者」が占めている「ゼロ」の場所は、数のない数(ナンバーレス・ナンバー) で、懐疑と過去の体験がガイドなのではなく、信頼と無垢がガイドである場所なのです。

Copyright © 2012 Osho International Foundation

OSHOトランスフォーメーションタロット 信頼

OSHOトランスフォーメーションタロット
14. 信頼

深い信頼のなかにあれば、状況はどうあろうとも、信頼のその質があなたの生を変容してくれます。

ミラレパがチベットの彼のマスターのところに行ったとき、彼はあまりにも控えめで、あまりにも純粋で、あまりにも真正だったために、ほかの弟子たちが嫉妬し始めた。彼が後継者になるのは確実だった。そこで彼らは彼を殺そうとした。

 ミラレパはまるで少しも人を疑わなかった。ある日、ほかの弟子たちが彼に言った。「もしお前がほんとうにマスターを信じていたら、崖から飛び降りることができるだろう? もしそこに信頼があったら、それはなんでもないことだ! けがをすることはないさ」

 そこで、ミラレパは一瞬の間もためらわずに跳んだ。弟子たちは駆け降りた……それはおよそ三千フィートの深さはある谷だった。彼らは散乱した骨を見つけるために降りて行った。だが、彼はそこに蓮華座で、途方もなく幸せに坐っていた。

 彼は目を開けて言った。「あなた方は正しい―――信頼は命を救う」

 彼らはこれはなにかの偶然の一致にちがいないと思った。そこである日、家が火事で燃えているときに、彼に言った。「もしお前がマスターを愛し、信頼して いたら、火のなかにだって入れるさ」。彼はなかで取り残されていた女性と子どもを救うために飛び込んだ。火はとてつもなくすさまじかったので、彼らは彼が 死ぬものと期待していた。だが、彼はまったく焼けていなかった。しかも彼は、その信頼ゆえに、さらに輝きを増した。

 ある日、彼らは旅をしていて、川を渡ることになった。そこで彼らはミラレパに言った。「お前は船に乗る必要はない。お前には非常に大きな信頼があるんだ―――お前は水の上を歩けるさ」そして、彼は歩いた。

 マスターが彼を見たのはそれが初めてだった。彼は言った。「お前はなにをやっている? ありえないことだ」

 ところがミラレパは言った。「マスター、私はあなたの力でこれをやっているのです」
 さあ、マスターは考えた。「もし私の名前と力で、無学な、愚かな男にこれをやらせることができたのなら……自分でためしてみたことは一度もなかったな」。そこで彼はためしてみた。彼は溺れた。それ以来彼の消息はまったく聞かれなかった。

 光明を得ていないマスターですら、もしあなたが深い信頼のなかにいたら、あなたの生に革命をもたらすことができる。そして、その逆もまた真実だ。光明を得たマスターですら、どんな役にも立たないかもしれない。それは完全にあなた次第だ。
Osho THE BELOVED, Vol.1, pp126-127

2016/06/02

中空の竹でありなさい

元記事:中空の竹でありなさい

~あなたが無欲なとき あなたは 解放されている~

これはティロパの独特な技法のひとつだ。マスターにはそれぞれ、自分がそれによって達成し、それによって他の人たちを助けたいという、その人独自の技法がある。これはティロパの独自性だ――中空の竹のように、自分の身体にくつろいで休みなさい。

  竹――内側は完全に空っぽだ。休むとき、あなたはただ自分が竹のように感じる。内側は完全に中空で、空っぽだ。そして実際に、これが真相だ。あなたの身体 はまさに竹のようであり、内側は中空だ。あなたの皮膚、あなたの骨、あなたの血はすべて竹の一部であり、内側には空間が、空性がある。

 口 を開かずに完全に沈黙し、動かず、舌を上あごに触れて沈黙し、思考で震えることなく、受動的にマインドを見守り、とくになにかを待つことなく坐っていると き、中空の竹のように感じるがいい。突然、無限のエネルギーがあなたの中で放たれ始める。あなたは未知なるもの、神秘なるもの、神なるもので満たされる。 中空の竹は笛になり、神なるものがそれを吹き始める。いったんあなたが空っぽになったら、そのときは神なるものがあなたに入るのを遮るものはない。

  これを試してごらん。これはもっとも素晴らしい瞑想のひとつ、中空の竹になる瞑想だ。あなたは他になにもする必要はない。あなたはただ、これになる。そし て、他はすべて起こる。突然あなたは、あなたの空性になにかが降りてきているのを感じる。あなたは子宮のようであり、新しい命があなたの中に入ってきてい る、種が落ちてきている。そして、竹が完全に消える瞬間がやって来る。

 くつろいで休む――スピリチュアルなことを望んではいけない、天国 を望んではいけない、神すら望んではいけない。あなたが無欲なとき、あなたは解放されている。仏陀の境地を望むことはできない。望むことが障壁だからだ。 障壁がないとき、突然、ブッダがあなたの中で爆発する。あなたにはすでに種がある。あなたが空っぽのとき、空間がそこにある――種が爆発する。
 与えるものはなにもない、得るものはなにもない。すべてがまったくオーケーだ……あるがままで。どんなギブ・アンド・テイクも必要ない。あなたはあるがままでまったく完ぺきだ。

あなたはなににもなる必要はない。自分は誰なのかをただ悟るがいい、それだけだ。あなたの内側に誰が隠れているのかをただ悟るがいい。改善したら、なにを 改善したところで、あなたはつねに心配し、悩むだろう。改善しようという努力そのものが、あなたを誤った道へと導いているからだ。それは未来を意味あるも のにする、ゴールを意味あるものにする、理想を意味あるものにする。そして、マインドは欲しがることになる。

 欲しがったら、あなたは逃す。欲しがることを鎮まらせ、無欲であることの静かなプールになるがいい――すると突然、あなたは驚く、不意にそれがそこにある。そして、あなたは腹の底から笑うだろう、ボーディダルマが笑ったように。

 そうなったら、修行すべきなにがある? もっともっとくつろぐ。もっともっと今ここに在る。もっともっと行動の中にあるが、ますます行動している状態ではなくなる。ますます中空になり、空っぽに、受動的になる。あるがままの自分で幸せだ。祝っている。

 そして、いつであれ――ものごとが熟し、時機が来たらいつでも――あなたはひとりのブッダとなって花開く。

Osho, Tantra: The Supreme Understanding, Talk #4より抜粋

OSHO トランスフォーメーションタロット


37. 天国の門

あなたが意識をしているいるとき、あなたは天国にいます。醒めていなさい。油断せずにいなさい。意識していなさい!これもまた、あなた次第です。

禅マスター白隠は、まれな開花のひとつだ。ひとりの戦士、サムライが、偉大な兵士が彼のところに来てたずねた。

「地獄はありますか? 天国はありますか? もし地獄と天国があるとしたら、その扉はどこにあるのですか? 私はどこから入ればよいのですか?」

彼は素朴な戦士だった。戦士は常に素朴だ。彼らのマインドのなかにずるさはない。計算はない。
彼らはふたつのことしか知らない――生と死だ。彼はなにか 教義を学ぼうとして来たのではなかった。彼は地獄を避けて、天国に入れるように、その門がどこにあるのかを知りたかった。
そして白隠は、戦士にしかわから ないやり方で応えた。

 白隠は言った。「お前は誰なのか?」

 戦士は応えた。「私はサムライだ」。サムライであることは、日本では非常に誇り高いことだ。それは完璧な戦士、自分の命を差し出すのを一瞬の間といえどもためらわない人間であることを意味する。
彼は言った。「私はサムライだ。私はサムライの指導者だ。天皇でさえ私には敬意を払う」
 白隠は笑って言った。「お前がサムライだって? お前は乞食みたいだぞ!」
  彼の誇りは傷ついた。サムライは自分がなんのために来たのかを忘れた。彼は刀を抜いて、まさに白隠を殺そうとした。
  白隠は笑って言った。「これが地獄の門だ。この刀、この怒り、このエゴとともに、ここにその門が開く」
 これが戦士に理解できることだ。すぐにサムライは理解した。彼は刀を鞘に収めた……。そこで、白隠は言った。「ここに天国の門が開く」

 地獄と天国はあなたの内にある。両方の門があなたの内にある。
あなたが無意識に振るまっているとき、そこには地獄の門がある。
あなたが油断せずに、意識するようになると、そこには天国の門がある。

 マインドは天国だ。マインドは地獄だ。そしてマインドには、そのどちらにもなれる許容力がある。だが、人びとは、どんなものも、どこか外側にあると思い つづけている……。地獄と天国は生の終わりにあるのではない。それらは今ここにある。瞬間ごとにその扉が開く……一瞬のうちに、あなたは地獄から天国へ、 天国から地獄へと動くことができる。

Osho ROOTS AND WINGS, pp.82-98
Copyright © 2011 Osho International Foundation