2016/06/24

OSHO 禅タロット ガイダンス

OSHO 禅タロット 虹の3 
ガイダンス

OSHO
あなたがガイダンスを求めなければならないのは、自分 の内なるガイドは自分の内側に隠されていることを知らな いからだ。あなたはその内なるガイドを見つけださなけれ ばならない。それこそ、あなたの観照と私が呼ぶものだ。
それこそ、あなたの"ダルマ"と私が呼ぶものだ。それこ そ、あなたにもともと内在するブッダと私が呼ぶものだ。
あなたはそのブッダを目覚めさせなければならない。そう すれば、あなたの生は祝福を、恩恵を降らせるようになる。
あなたの生は善きことで、神々しさで、素晴らしく輝き を放つようになる。あなたの想像をはるかに超えて——。
それはほとんど光のようだ。あなたの部屋は暗い。ちょ っと光を持ち込むがいい。小さな蝋燭(ろうそく) ですら役に立つ。
それで暗闇全体が消える。そして、いったん蝋燭を手に したら、どこに扉があるのかわかる。「扉はどこだろう?」 と考えなくていい。扉はどこだろうと考えるのは、目の見 えない人たちだけだ。目のある人たちは、光がそこにある のだから、考えたりしない。「扉はどこだろう」と、一度 でも考えたことがあるかね? あなたはただ起き上がっ て、出ていくだけだ。どこに扉があるのか、少しも考えな い。扉を探して手さぐりしはじめたり、壁に頭をぶつけだ したりしない。あなたはただ見るだけだ。そして、思考の かすかな動きすらない。あなたはただ出ていくだけだ。

解説:
このカードの虹色の翼をもつ天使の像は、私たちひとりひとりが 内側に宿しているガイドを表わしています。このガイドがやって 来ても、私たちは背後にいる二番目の人物のように、少し信頼が 欠けてしまうことが時々あります。それは、私たちが内側からで はなく外側からきっかけをつかむことに慣れてしまっているから です。あなた自身のもっとも深い実存の真理が、まさに今ど こに行けばいいのかをあなたに示そうとしています。そして、こ のカードが現われたときは、あなたは与えられている内なるガイ ダンスを信頼することを意味しています。それは囁くよう に話しかけ、時として私たちは、正しく理解したかどうかわから ずに、躊躇してしまうこともあります。それでも、示されている ことははっきりしています。内なるガイドに従うことで、あなた はもっと全体的な感じが、もっと統合された感じがしてきます。 まるで自分の実存の中心そのものから外に向かって動いているか のように——。もし、あなたがそれと共に進んだら、この光線が、 あなたの行く必要のあるところへ正確に連れていってくれるでし ょう。

OSHOの4つのタロットを引く

Osho Zen Tarot
Osho Transformation Tarot
Osho Tantra Tarot
Osho From Heart To Heart
の4つを ネットでひくことができるみたいです。
ただし・・・・ 
英語のみです 号泣


なんと 
引き方も選ぶことができます。

禅タロットや トランスフォーメーションタロットは
日本でも引けるのですが
それ以外のタロットは どんなメッセージがでるんでしょうか
翻訳サイトなどを使いながら 引いてみても面白いかもしれませんね

元のサイトさま OSHO SATORI MEDITATION CENTER<

2016/06/22

開きなさい そうすれば あなたにもわかるだろう・・・

facebookでシェアされていた OSHOの講和から


ある人が
「私は恩寵を受け取った」
と言うのは正しいが、
「あの人は恩寵を受け取った」
と私たちが言うのは間違っている。

私たちは、
またしても自分をごまかしている。
私たちが自分をごまかすのは、
その人に起こった
大いなる変容を認めていないからだ。

自我のせいで、
私たちはそれを認めることができない。
自我は言う。
「神はあの人に
 恩寵を与えておられるのに、
 私には下さらない」
と。

そうなったら、
私たちは、
神は特定の誰かに
恩寵を下さるという
ひじょうに誤った考えを
抱くことになる。
神は恩寵そのものだ。

神は恩寵を
受け取る用意が整った人には
いつも与えている。
神には与える用意がある
ということですらない。
神は常に与えている。

あなたに
受け取る用意ができていないときでさえ、
神は与えている。
あなたが閉じているときでさえ、
神は雨のように降り注いでいる。
神の祝福は雨のように降り注いでいる。
開きなさい、
そうすれば、
あなたにもわかるだろう。
意識して、開いているがいい。
そうして初めて、
愛とは何か、
恩寵とは何か、
慈愛とは何かを知ることができる。

それらはひとつであり、
同じものだ。

それらは別のものではない。
それらは基本的にひとつであり、
同じものだ。
そうして初めて、
祈りが何であるかを知ることができる。
障壁がそこになければ、
祈りとは何かを求めることではなくなる。
それは物乞いではなく、感謝だ。
何かを乞い求めて祈るとき、
そこにはかならず障壁がある。
物乞いは障壁だ。
マインドは障壁だ。

祈りが感謝であれば・・
何かを求めるのではなく、
森羅万象の
すべてに対する感謝であれば・・
恩寵を受け取るたびに、
あなたは感謝を覚える。

神の側からは恩寵が注がれ、
あなたの側から感謝が起こる。
私たちは感謝というものを
まったく知らない。

恩寵を知るまで、
私たちは感謝を知ることができない。
神の恩寵を感じ取るまで、
私たちは感謝を覚えることができない。
だが、
それを知り、
感じ取ることは可能だ。

探究を始めてはいけない。
神に関する詮索を始めてはいけない。
このような探究は
何世紀にもわたって続けられてきた。
哲学者たちは神の属性とは何かと
考えつづけてきた。
「これは神の属性だが、あれは違う」
と言う形而上学者たちがいた。
「神には属性がない・・ニルグナ」
と言う者もいれば、
「神には様々な属性がある・・サグナ」
と言う者もいる。

だが、
自ら体験したことのないものを
どうして知ることができるだろう?
神に属性があるか否か、
神は愛に満ちているか否かを
どうして私たちが判断できるだろう?
そんなことをいくら考えても、
決着はつかない。
判断を下すことなど不可能だ。

形而上学は
私たちを不条理へと導いてゆく。
人間の想像力が論理的になると、
私たちは何かを達成したと思い込むが、
実際には何も達成していない。
想像力は私たちのものであり、
論理は私たちのものだ。
私たちは何ひとつ知らない。

形而上学を避けるつもりなら、
常に自分自身から始めることだ。
形而上学を避けることができなければ、
宗教的にはなれない。
形而上学と宗教は対極だ。

決して神から始めてはいけない。
常に自分のマインドから始めなさい。
自分がいるところ・・
常にそこから始めなさい。

Osho - I Am The Gate

OSHO 禅タロット 信頼

水のナイト 信頼

OSHO
いずれ取り去られてしまうものを求めて自分の生を無駄にしてはいけない。生を信頼するがいい。信頼して初めて、あ なたは自分の知識を落とすことができる、 自分の心(マインド)を脇に置くことができる。そして、 信頼と共に、なにか途方もないものが開け放たれる。そうなったら、この生はもはや普通の生では ない。それは神で満たされ、あふれるようになる。ハートが無垢で、いくつもの壁が消えたとき、あなたは無限と橋渡しされている。そして、あなたは幻惑され てはいない。あなたから取り去ることのできるものはなにもない。取り去る ことのできるものには、取っておくだけの価値はない。そして、取り去ることのできないものであれば、それが取り 去られてしまうことをなぜ怖れなけれ ばならないのかね? それは取り去ることができないのだ。そんなことはありえない。自分のほんとうの宝を失 うことなどありえない。

解説
今こそバンジー・ジャンパーになるときです。紐を結ばずに! そして、なにかを取っておいたり、秘密の安全ネットを張ったり しない、絶対的信頼というこの質こそが、「水のキング」が私たち に要求するものです。ジャンプして、未知なるものへ入っていけ るとなったら、考えただけでも死にそうなくらい怖いのですが、 それでも、この上なく愉快な感じがします。そして、信頼を量子的(クォンタム) 跳躍(リープ)のレベルにまでもってくると、私たちはもはや念入りな計画 を立てたり用意したりはしません。「いいだろう、これから自分がなにをするのかわかっているのだか ら、信頼しよう。ちょっと片づけ、スーツケースに荷 物を詰めて、持って行こう」などとは言いません。そうではありませ ん。次になにが起こるのか考えもせずに、私たちはただジャンプ します。その跳躍、そして虚空を自由に落ちていくときの、その スリルが肝心なのです。それでも、このカードは、向こう側でな にが私たちを待っているのか、そのヒントをここで与えてくれて います——。ソフトで、喜んで迎え入れてくれる、おいしそうな ピンクのバラの花びら、ジューシーで……さあ、いらっしゃい!

数日前 カードを切ったら 一番に出てきたのがこのカードでした。
そして今日 ネットでカードをひいたら また このカード・・・

というわけで シェアさせてもらいます